祖母が語った「なぜ私だけ預けられたの?」昭和の家族に刻まれた見えない痛み

私の祖母が語っていたことです。

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【はじめに】

「なぜ、私だけだったの?」

私の祖母が80代になっても、ふと漏らしたこの言葉が、ずっと心に残っています。

昭和5年(1930年)生まれの祖母は、5人兄弟の中で長女。ところが、彼女だけが幼いころ、親戚の家に預けられ、6年間も家族と離れて暮らしていたのです。

戻ってきた後も、「なぜ自分だけが預けられたのか」は知らされないまま。

歳月は流れても、感情の記憶は風化しない――そう思わせられる出来事でした。

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【祖母だけが親元を離された理由】

当時、祖父は日本国内におらず、韓国や中国で酒造技術を伝えるために出張していたそうです。語学に堪能で、韓国語も中国語も話せたという祖父は、戦前としては非常に珍しいタイプの人間だったのかもしれません。

一方、祖母の母――つまり私の曾祖母は、5人の子どもを一人で育てなければならなかった。

経済的な理由か、あるいは生活の手間を減らすためか、祖母だけが親戚に預けられたのです。

誰も悪くはなかった。

でも、祖母にとっては「なぜ私だったのか」という想いだけが、心に残ったのだと思います。

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【6年間の空白がもたらしたもの】

祖母は預けられていた時代のことを多く語りませんでした。

けれど、6年という歳月は、幼い子どもの心にとって決して短くはありません。

6年後、家族のもとに戻った祖母は、**「血がつながっていても、心がつながらない」**という経験をしたのではないでしょうか。

家族の中にいながらも、どこか居場所がない。

4人の兄弟が一緒に過ごしてきた時間が、自分にはない。

「羨ましい」「私もあの中にいたかった」――

そんな感情が、祖母の心をずっと支配していたのかもしれません。

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【記憶は癒えず、ただ残る】

祖母は80代になっても、ふとしたときに言いました。

「お母さん、なんで私だけ預けたんだろうね……」

その問いに、明確な答えはありませんでした。

でも、私はその言葉を聞いて、感情の傷というものは、時間が経っても癒えるとは限らないと痛感しました。

人は、理解できることよりも、**「感情が納得できないこと」**に深く傷つくのです。

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【まとめ】

私たちは、時に「昔のことだから」「親にも事情があった」と言って、感情の傷を無視してしまいがちです。

でも、子ども時代に感じた寂しさや疑問は、一生心に残ることもあるのだと、祖母の姿が教えてくれました。

今、自分が親になった人も、そうでない人も、誰かの「なぜ私だけ?」という小さな痛みに目を向けてみてください。

それはきっと、見えない孤独を抱えている誰かを救う一歩になるはずです。