昭和20年8月6日。
その日、私の祖母は広島ではなく、大久野島(おおくのしま)にいた。
かつて毒ガス製造施設があったこの小さな島は、戦時中は「地図から消された島」として存在を隠されていた。祖母はその島で、風船爆弾に関わる事務作業に動員されていた女学生だった。
ガラスが吹き飛んできた日
その日、祖母はいつものように事務室で仕事をしていた。
何の前触れもなく、突然、ピカとひかり、ガラスが音を立てて割れ、四方から吹き飛んできたという。(ピカドン)
何が起きたのかすぐにはわからなかったが、後になって、広島市内に原子爆弾が投下されたという話が入ってきた。
祖母がいた大久野島と広島市内は、直線距離で約60km。
それでも、原爆による衝撃波が島の建物にまで影響を与えたということだ。
電車に乗って、祖母は帰路に着いた
数日後、祖母は島を出て、家へ帰ることになった。
その道中、電車に乗った祖母の記憶に強く残っているのが、血まみれの人々の姿だった。
包帯を巻いたまま、服が焦げていたり、顔を黒く焼かれていたり、そういった人たちが、満員の電車にぎっしりと乗っていた。